先生の「見せ場」は要らない!本質的にこどもの成績を上げる先生とは?
クリエティブな仕事への興味がなければ、絶対に民間で「先生」をしてました
教えるということに関しては、自分では望んでないくらいの絶対的な力と自信があります(笑)
自分は、小4から中3の青春を限りなく塾で過ごした経験もあり、教えるということには昔から敏感でした。
高校は、野球部だったため、塾には行けませんでした。
ただ、小・中の頃に教わったノウハウがあったので、高3の10月から本格的に勉強をして、センター試験までの3カ月間で、国立大学に合格できました。
大学は、親から「遊ぶために行け」と言われていたので、「安く行ける国立で、実家から近い地方で、一人暮らしも出来る」ってことから、長崎大学を受験させて頂きました。
なので、「自分自身をどういう状態に持っていくか?」を「勉強」を通して、小さい頃から自然と磨いていました。
それに加えて、大学に入ってから新卒の頃までは、塾講師、家庭教師、添削指導、電話指導の仕事に就いたため、勉強に関する指導力が付いていたんです。
中3で正負の計算が分からない…そんな生徒でも、絶対に成績は上げられる
以前、私は、教育ブラック企業に勤めていました。
ただ、この「ブラック」とは、自分ら過ごす労働環境のことで、生徒へに対しては限りなく「ホワイト」な会社でした(笑)
日々200枚に及ぶ添削から、1日20件以上の電話指導、講習会での授業etc..
時間があれば、隙間なくロールプレイを行う。
黒板に書くときも、絶対に、生徒の方を見て、しゃべりながら書く。
もし、生徒に背を向けて、黒板に板書した時には、めちゃくちゃ怒られてました。
どういう経路で、机を回るかさえ、細かにチェックして、授業に臨んでいたんですね。
民間企業なので、生徒は「神様・お客様」的精神の中、厳しく律し、暖かく、熱心に指導してました。
生徒1人当り一日平均、添削3分。電話は週一たった10分で、成績を上げてきました
先生も「恥」をさらして、生徒をがんがん心を開かせよう!
民間で生徒を指導したといっても、生徒がこなす課題を毎日3分間添削する、生徒へ週一回電話指導を10分間行う、ということしかしていません。
抱えていた生徒が莫大にいたので、どう時間を作っても、それくらいの時間しか向き合えないんですね。
まぁ、それが労働環境ブラックたる所以ですが…
自分の場合は、営業成績より、生徒の成績をいかに上げるかが楽しくなっちゃいまして…
そこで気づいたんです!生徒を「ある境地」にさえ持っていくことが出来れば、必ず成績が上がると。
先生からの指導が圧倒的に少なくても大丈夫なんです。
むしろ、先生は指導するという役割ではなく、もっと別の役割になり切れた時に、生徒の成績が突き抜けていくんです。
がっつりと向き合える「家庭教師」が成績を上げられないのは罪
生徒を「ある境地」へ引き上げるということは、「A→B」という状態に変える訳です。
つまり、多くの時間を、しかも至近距離で共に出来るほど、これは簡単になります。
つまり、塾講師、学校の先生なんてのは、すごくやり易いです。
さらに、家庭教師の場合だと、ほぼ実現しやすいですね。
家庭教師は、一人の生徒に対して、そのまま向き合えますから。
そうなんです。手段は、添削でも、電話でも、塾でも、家庭教師でも、いいんです。
生徒を「ある境地」へ引き上げる。このことを、先生が知っていて指導しているかどうかなんですね。
「ある境地」へ導く前の前提。先生には、勉強を「今-ここ」でやりたいと思わせ、実践させる技術が必要
成績の上がらない生徒のほとんどの原因は、「勉強をする意図」が分かっていないケースがほとんどです。
というより、「勉強をする意味」なんて重々しい感じを突きつけるから悪いんですね。
本当にちょっとした違いですが、伝えてあげないといけないのは、「勉強をすると、生徒自身にどんないい事があるか?」ということです。
これは、もうその生徒のオンリーワン的な個人レベルのメリットを差し出してあげると、さらにイイです。
生徒自身は、いきなり「自分を変えた感」を先生の前で出すのは、恥ずかしい。だからこそ、先生も「恥」をさらす
これは大事ですね。せっかく生徒は変わりたいけど、いきなり態度を変えて、素直になり過ぎたと思われるのを恥ずかしがりますから。
だから、自然に生徒が態度をコロッと変えてあげられるような状態を作ってあげなければなりません。
勉強のメリットをまったくイメージできない生徒ももちろんいます。
そんなときは、「バカバカしいメリット」を提示し続けることです。
生徒に呆れてもらうことで、それが心を開くタイミングになることが多くあります。
いつでも受け入れ態勢を、持っておくことが大切ですね。
「ある境地」とは、「A→Bになるには、こうすれば…これくらいでなれるような…」という抽象的な想像力
勉強を「今-ここ」でやりたいと思わせてしまえば、あとは、「ある境地」を身につけさせるだけです。
「ある境地」とは、「A→Bになるには、こうすれば…これくらいでなれるような…」という抽象的な想像力です。
そのためには、「自発的」な成功体験が必要になります。
そうなんです。良い先生というのは、この仕組みづくりを、生徒に対して上手く行える指導者のことです。
「分かりやすい!」が先行するセンコーは要らない。先生の「見せ場」は要らない。「先生居なくても出来るかもー」くらい思われて丁度いい
あくまで、見せ場は「生徒」に用意してあげる。
先生はパフォーマーではありません。「先生って凄いですねー」って言われなくても構いません。
むしろ、先生が、生徒に「自分で出来て凄いやん!」って言えるのが本当は良いのです。
「勉強」を通して、「A→B」になる経験は、「社会」のなかで、「A→B」になるための予行練習
勉強を「興味があるから」っていう理由はキレイですね。
でも、そんな生徒はほとんど居ないんです。
だからこそ、「勉強」は、「A→Bになるには、こうすれば…これくらいでなれるような…」という抽象的な想像力を付けさせる機会として、子供へ提供すると良いと思います。
なぜかって?それは将来、その子供が本当にやりたいことが見つかった時に、その勉強で培ったノウハウで、自らを道を切り開いていけるからです。
やりたいことが本当に見つかった時に、目標に向かって、瞬時に踏み切って、効率良く成し遂げる能力があるかないかは、デカイですよね。
それこそ、大人になって、「やるべきことをやれない」習慣を脱するのは、とてもムズかしいと思ってます。
これは、私が昨年、セミナー講師をして、「大人」に教えて、しみじみと感じました。
勉強も、様々な社会的分野も、ある程度は、パターンが決まっているからです。
だからこそ、良い先生に出会うことは、人生を変えることでもありますね。
自分が出版者を作って、イラスト、文章、編集、デザイン、発行、サイトデザイン、プログラミング、マーケティング、プロモーションetc..を一人でこなせるのも、昔の塾で培った「境地」のおかげかもしれません。
2012年4月11日
(END) Thanks for reading!