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非オタクが掘り下げる素晴らしいコミックマーケットの黎明期と創成期の歴史

谷 洋二郎  2015年4月2日

20150330-06

画像はKobakより

コミケはもはや日本の国宝

今回の記事は、コミケに興味のない人間がコミケについて掘り下げた内容だ。
実際の現場というよりは、書籍を通じて掘り下げ、最終的には、米沢嘉博記念図書館を訪問するというところまでを行い、興味深かった内容をまとめることにした。

こうした活動に行った経緯として、コミックマーケットは紛れもなく日本最大級のイベントと言えるからだ。

東京ビックサイトで行われ、3日間で55万人以上が参加するコミックマーケットについて、理解を深めることが何か大切なように思えたのだ。

おそらくコミックマーケットに無関心なほとんどの人は、このイベントを「オタクの総結集」で片づけているかもしれない。
実際に、私もコミケ=オタクという短絡的な思考処理をしていた。

そんなときに見つけた書籍が『コミックマーケット創世記』(霜月たかなか著 朝日新聞出版)だ。

20150330-01

手にとってページをめくって驚いたことが、まず、コミックマーケットの歴史の長さだった。
コミックマーケットが初めて開催されたのは、なんとコミックマーケットの歴史が素晴らし過ぎた。

コミックマーケットは紛れもなく日本最大級のイベントと言えるだろう。

・東京ビックサイトで行われる
・3日間で55万人以上が参加する

コミケにオタクという言葉が追従している思考からすれば、コミックマーケットの歴史はここ十数年のものだと思っていた。

井上陽水や吉田拓郎の楽曲を好む私としては、彼らがフォーライフ・レコードを立ち上げた年にコミックマーケットの歴史がスタートしたということになるから、その2点だけでも、非常に文化的な年だったと言えるのではないだろうか。

単純に日本人として、コミケに対する歴史を深めることが大切なように思えたし、コミケのエネルギーに対峙したいと純粋に思えた。

現場のコミックマーケットに参加するところまではいかなかったが、

・『コミックマーケット創世記』(霜月たかなか著 朝日新聞出版)を熟読する
・米沢嘉記念館図書館に実際に出向き、情報と雰囲気を体感する

という二つのことを行い、私なりにコミックマーケットについて記述させて頂いた。

コミックマーケットはなぜ誕生したのか?

では、そもそもコミックマーケットはなぜ誕生したのだろうか?
『コミックマーケット創世記』(霜月たかなか著 朝日新聞出版)によると

読者とはただ消費者として存在しているわけではない。発信者である出版社や作家にしてみれば、受信者である消費者がただ本を買い、面白がってくれればいいのかもしれないが、読者もまた人間である以上、ただ読む以上の方法で作品を楽しみたいと思うだろうし、楽しんでもいいはずだ。

第1章 第1回コミックマーケット開催 P25

まず、発信者が届けるマンガを受容する消費者が、マンガに対する自分自身の在り方を単なる消費以外の形で示したいという気持ちが芽生えていたことが大きい。

そんななか、読者に留まりつつも、自分が感じた作品の面白さを、受け手の側から何か形にして発信してみたい。読者がそう思った時に、第3の選択肢として同人誌が姿を現す。

第1章 第1回コミックマーケット開催 P25

熱心なファンによって生み出された文化の形の一つが同人誌だった。
コミックマーケットを立ち上げたのは、まんが批評集団の「迷宮」。

初代代表は原田央男氏であり、彼は和光大学を卒業したばかり。コミックマーケット成長の立役者とされている米澤嘉博氏も所属しており、その当時、米澤氏はまだ明治大生だっというから驚きだ。

迷宮は結成された当初、そのサークル名より先に運動理論なるものを定めていた。
運動理論というのは、活動方針のようなものだ。

我々は、主体的にマンガに関わりかつ、コミュニケートを求める者ににその場を解放する!!

第5章 コミックマーケット発信 P116-P117

その意気込みたるや相当の熱さが伺える。
また、迷宮が出した「漫画新批評大系」巻頭には「運動宣言」として、迷宮の指針を以下のように訴えている。

「今やマンガ状況は混沌と退廃の時代に突入した。(中略)我々はこのような状況に対し、渾身の力をこめて”死刑!”と宣告するものである。マンガに秘められたあらゆる面白さの可能性を、マスコミのバスチーユから解放せなければならない。と同時に、このマンシャンレジーム側面的に支持している、現在のファンダムの状況もまた、変革の対象となろう。右に大手出版社、左に固執的大手マニアグループを相手に回し、今こそ自己満足の弧峰から下りて語る時が来た。

マンガとは、マンガ状況とは、それを一つの遊び空間と認識したうえで、我々にとって、その中で生き、息づいている世界である。チェシャー猫が出没するアリスの国であり、上帝の支配する門の世界である。我々の求めるのは、まさしく、この世界の国境線を無限のかなたへと爆発させることなのだ!(中略)

我々=迷宮’75は、とりあえず批評集団として出発する。状況の直接の変革の力は、作品にこそあることと知りつつ、あえて、ことばを武器として選択した。その理由は、何よりもまず、自らの内に、自由の砦を築くことこそ急務であると考えるからである。状況に押し流されず、状況のすべてに対峙し、それを受けとめるためにも、我々はまず意識としてあらねばならない。状況の一つ一つを厳格にチェックし、絶えず自らのテーゼを掲げるために、あるいは可能性の芽をのばすためにも、今、意識としての批評の復権が必要なのだ」

第5章 コミックマーケット発信 P120-P121

上記から、迷宮がマンガという世界に、読者という独自の視点から、今までの読者にない形で、できる限りの力を加えていこうとする覚悟が読み取れる。

『漫画新批評大系』のように、批評を主軸とした活動は、私設されたものではりながら、公のマンガ界に然として、混沌を敢えて与え、本気でより良い変革を起こそうとしている。

そして、迷宮の運動理論に沿った運動の一つとして、コミックマーケットが誕生するのである。

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オリジナルメディアを作り上げた功績

コミックマーケットは、オリジナルのメディアを作り上げることで、その影響力を拡大させることに成功したようにも思える。

第4回ではそれまで載せてくれていた「別冊少女コミック」に告知が掲載されず、そのことから同人誌即売会がマスメディアに頼ることの矛盾が指摘されて、僕らは急きょ、準備会推薦の同人作家にイラストを依頼してポスターを製作。それを事前に大学や喫茶店に貼らせてもらうことで自前の告知メディア確保に動き出した。

第6章 コミックマーケットはどこへ行く P163

これはほんの一部の施策である。その他にも、オリジナルでサークルリストを作り、情報伝播を効率よく行っていたことは、リストマーケティングを自然に取り入れていたということでもある。

「同人誌即売会がマスメディアに頼ることの矛盾が指摘」され、実際に、自分たちの理念を貫くことに重きを置いた迷宮。迷宮は読者としてマンガに力を加える者として、どこまでも、自分たちのあるべき姿を突き詰めていたのだろう。

そうした自分に強い力が、自分たちだけで波及効果を出せるメディアを作ることを可能にしたのかもしれない。

コスプレの始まりも1970年代

1977年のコミックマーケットでは、参加者数が会場のキャパシティを上回ることになり、会場を板橋連合産業会館から大田区産業会館に移す。

さらに、第5回では、当時代表の原田氏は以下のようにも述べている。

アニメといえば、僕がいわゆる「コスプレ」を最初に目撃したのが「海のトリトン」(手塚治虫原作のテレビアニメ)の主人公の格好をした女の子で、第5回コミックマーケットの時だったろうか。以来、アラビアンナイトの衣装を着た女の子たちとか、主催者側にしてみれば首をかしげざるをえない一般参加者が徐々に出没。それが数を増して、世間から注目されるようになるのは、僕が代表を離れてからだが、反対にそういうものもまたコミックマーケットへの参加の仕方の一つとして・・・

第6章 コミックマーケットはどこへ行く P171-172

コスプレの元祖も1970年代ということだから、驚きだ。
それも、コミックマーケット主催側が起こしたものではなく、一般参加者によって形成された文化ということだから、コミックマーケットが「参加サークルと一般参加者がみずから作り上げる」を当初から一貫して行っていることが伺える。

創世期から変化していくコミックマーケット

コミックマーケットは回を重ねるごとにイベントの規模を大きくしたが、それは主催者の思惑とは異なる次元の参加者が流れ込んでくることでもあった。

だからといって「迷宮」にしてみればプロ作家養成場としてコミックマーケットを作ったわけではなく、むしろ商業誌に受け入れられない同人作家のためにそおれを作ったといたほうが正しいだろう。だが同人誌の数が増えれば同人作家として優れていると共に、その資質がプロとして通用する作家も当然のごとく出現してくる。

第6章 コミックマーケットはどこへ行く P180

だからといって「迷宮」にしてみればプロ作家養成場としてコミックマーケットを作ったわけではなく、むしろ商業誌に受け入れられない同人作家のためにそおれを作ったといたほうが正しいだろう。だが同人誌の数が増えれば同人作家として優れていると共に、その資質がプロとして通用する作家も当然のごとく出現してくる。

第6章 コミックマーケットはどこへ行く P180

そして、原田氏は1979年の第12回コミックマーケットを最後に、代表を退くことになった。

ファンクラブやコスプレを否定する気はさらさらないが、そういう自分が最初期待した以外のサークルや流行が増える一方で、まんがの創作サークルの増加は微々たるもの。しかも、その創作サークルの作品でさえ、あからさまに商業作品の二番煎じと思われるものばかりが大半とわかって、そこから同人作品の未知なる世界が広がるものと期待していた自分の気持ちが萎えてしまったと、要はそういうことなのである。

第6章 コミックマーケットはどこへ行く P180

迷宮が参加サークルと参加者を制することはできなかった。

それは、コミックマーケットは「参加サークルと一般参加者がみずから作り上げるものだというのが大原則」であるからだ。

迷宮の『漫画新批評大系』の「運動宣言」のような姿勢でマンガに取り組み、付随する合宿で「マンガのあるべき姿」についてお酒と議論を交わしていたというのが初期のコミックマーケットの本質だったと言える。

私が印象に残った一節

私が『コミックマーケット創世記』(霜月たかなか著 朝日新聞出版)の中で、一番心に残ったのは、代表を退任し、コミケとのいっさいの関わりを断っていた原田氏が、米澤氏の他界をきっかけに、26年ぶりにコミケへ降り立ったときの感想だ。

ただ一つ分かったのは、26年ぶりに訪れたコミックマーケットの会場に立った僕は、参加者の誰よりもそれについて知らない浦島太郎になっていたということである。

第6章 コミックマーケットはどこへ行く P184

この一節の切なさというか、儚さはすごく心が動かされた。
ぜひ、『コミックマーケット創世記』(霜月たかなか著 朝日新聞出版)を読んでもらえればと思う。

『コミックマーケット創世記』(霜月たかなか著 朝日新聞出版)を読んでいく中で、現在のデジタル技術や印刷機器とは異なる環境の中で、様々な試みがなされ、その過程でアウトプットされた様々なモノの話がとても熱かった。

特に萩尾望都氏の『11月のギムナジウム』のダイナビジョン映画制作の話は、文章を辿るだけでも、その作業の果てしなさを感じることが出来る。

実際に、迷宮がコミックマーケットから分離することにより、残った米澤氏が代表と成るところから劇的な発展を遂げることになる。

つまり、今回綴ったのは、コミケの歴史のほんの始まりに過ぎない。
だが、そのはじまりがあまりに濃く、深いもので、今のコミケという言葉からはイメージできない多くの素晴らしさを潜ませていることが理解できるだろう。

ということで、米沢嘉博記念図書館に行ってきました

20150330-03

ここからは敬体で綴らせて頂きます。
米沢嘉博氏はコミックマーケット準備会の第2代代表で、コミックマーケットは飛躍的に発展させた立役者です。

原田(霜月たかなか)氏の著書を読みながら、せっかくだから、米沢嘉記念館図書館に訪れた上で、今回の記事を執筆しようという気持ちに至りました。

米澤氏が明治大学出身ということもあり、米沢嘉記念館図書館は明治大学付属の図書館になっています。

館内は撮影禁止のため、まずは外観を撮影しました。

20150330-04

2Fには過去の同人誌やマンガを閲覧することができます。
私自身、マンガにはあまり興味がないのですが…

・『COM』
・『ガロ』
・『漫画新批評体型』(迷宮’75)

などを手に取り、読ませて頂きました。

当たり前ですが、『漫画新批評体型』(迷宮’75)の文章は手書き文字で、ワープロなどではありませんでした。人間味あふれる文字の批評を読むという経験は、学生の頃に他の生徒が書いた論文を読むという以来、10年以上ぶりの経験でした。

今の技術やインフラから考えると、それは書物とはまったく異なる文化の成果物のように思えました。

1日会員証とレシートには、キャラクターになった米澤氏が入っています。

20150330-02

『コミックマーケット創世記』(霜月たかなか著 朝日新聞出版)を読んで、実際に、米沢嘉記念館図書館を訪れて、今回の記事をアウトプットしたことで、コミックマーケットの歴史に少しは触れることができたような気がします。

(END) Thanks for reading!

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