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一般人が「facebook疲れ」になる当たり前さとマスメディアが「権威的」で在り続ける理由

谷 洋二郎  2013年6月22日

フェイスブックロゴ

そもそも、メディアを持って運用すること自体は「疲れること」である

フェイスブックに疲れるのはメディア所持の特性からしてみれば当然

twitterやfacebook等のSNSが一般的になり、「個人」がメディアを持つことが当たり前になっている。
ごく一般人のフェイスブックのカバー画像が、宣材写真のようなクオリティということは珍しくない。
そして、それを見ているユーザーも、そのことを普通のこととして受け入れるようになっている。

twitterやfacebook、日本製でいうとamebaやmixiもそうであるが、各SNSのユーザー数が増し、よりハイブランドになればなるほど、そのメディアで発言することに社会性が出てくる。

まぁ、そんなアイドリングセンテンスはどうでもよく、結局、今回の記事で何を語っていこうかというと、『一般人がテレビをつまならないというように、あなたのツィートやウォールもつまらないと言われている』ということだ。

そして、つまならないと言われて、単純に怒っているようでは、あなたはメディアの所有者としては苦しくなっていく。
要は、メディアを持つということは、どんな公開設定だったとしても、文字通り「公」に「開」かれているということであり、そこに様々なエネルギーが吹き込んでくることを想定しなければならない。

それはあなたのメディアがどんなにローパワーでも、きっと起こってくる。ご近所レベル、会社、サークル、町内、そんなレベルにおいても、ソーシャルメディア×リアルで巻き起こる井戸端会議で、あなたの噂は、ソーシャルでモノゴトを発信していない時代よりも、拡張され、ネタにされていくのだ。

一人で発信する以上、あなたは、プロデュサーであり、ライターであり、カメラマンであり、デザイナーであり、編集者である

犬もフェイスブックに疲れてワンワンワン!

twitterにしろ、フェイスブックにしろ、アメブロにしろ…あなたは「あなた情報局」のメディアコンテンツを作り上げるために…

・何を発信するか全体的に考える(プロデュサー)
・文章を書く(ライター)
・アップする写真を撮る(カメラマ)
・画像などのデザインを行う(デザイナー)
・作ったコンテンツの構成を編み出す(編集者)

といったことをしなければならない。

それで大抵の一般の方というのは…

・発信することがあまりなく、日常の事になっている(プロデュサー)
・よい文章が書けない、メディアに適したサイズにまとめられない(ライター)
・画質が良好でない写真、アングルが分かりづらい(カメラマン)
・アプリなどの編集ソフトでまとめあげた均一性のデザイン(デザイナー)
・作ったコンテンツの危険性などを顧みない(編集者)

といった感じで、要はコンテンツとしては質が低いモノになっているということは言うまでもない。

いやいや「楽しむため」にソーシャルメディアを使っているんだから、「別にいいじゃん!」という意見もありそうで、それは本当にその通りで、でも、「公」に「開」くということは、もう公に開いている時点で「コンテンツとして社会性を帯びている」ことになり、別にいいじゃん!ってことじゃ済まされなくなっているということで、それは一般の人自身も薄々感じているんじゃないかって思う。

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メディアを持つことは、発信出来ることのみならず、自然発生的な双方向性の強制力を喰らうこと

フェイスブックってそんなに面白い?

あなたのメディアはあなただけのモノであるが、メディアを持つことで生まれたあらゆる現象は、あなた個人の問題から一人歩きすることは非常に多い。

・上司からのいいね!の強要
・あまり好きじゃない人からの怒涛のイベント招待
・コメント欄での「ちょい暴露」
・写真のタグ付けからにじみ出る交友関係

上記のモノに悩まされて、それらのことが、どうかしていると思ったあなた。

マスメディアってのも、それはそれは、企業との付き合い、お国とのお付き合いがあるんで、まぁ、流したいことあっても流せなかったり、ちょっと贔屓したりってのは、自然と言えないだろうか?

そもそも、「マスメディアが真実を伝えてくれない」って、あなたは「フェイスブックで真実を伝えているの?」って聞かれたら、マスメディアの事情というのが一気にリアリティなことに感じ取れるのではないかと思う。

この話題を突き詰めると「メディア・リテラシー」の方向性へ今回の話題が転換してしまうため、ここまでに止めておくが、「楽しむために使っているんだから、別にいいじゃん!」って人たちの「別に」っていうのは、メディアが公開されて、単に解き放たれている時点で、もう無理なレベルに達しているってことを自覚しなければならない。

これは、私自身の感覚なのだが、もし、私が書籍を出版したり、フリーで仕事をしていなかったり、Webの制作をしてしなかったら、間違いなくソーシャルメディアで、個人発信なんかしていない。

その根拠に、Web制作者でありながら、未だにガラケーだし、仕事以外の時間はランニングをしておきたいってぐらい、パソコンも観ない。
しかし、フリーランスで一人で仕事をしている以上、そして、本を出版し、クリエイターとしても上昇していこうとしたときに、個人メディアというのは切り離せない。メディアを育てなければならない。

でも、Webデザイナーでもなく、著者でもなく、ごく普通の会社員だったら、自分はメディアの受容者に徹していたいと思う。
というか、サラリーマン時代は、まさにそうだった。

何が言いたいかというと、個人メディアを持っている人は、その度合いや幅に個人差はあるにしろ、「何かを届けたい」という思いがあるんじゃないかと思う。

ぶっちゃけ、フェイスブック要らないじゃん!って思ったらすぐに辞めても何にも支障はない

ウォール見た後って意外に疲れ、貯まるよね?

だからこそ、最初から多くのソースに届けられるマスメディアは権威を帯びるし、どうでもいいことに莫大なお金を掛けるマスメディアは清々しいし、セットを作りこんだり、デザインに力を入れてコンテンツ力を高められるし、やっぱ、マスメディア権威主義ってのは、いっときは終わらないと思う。

ただ、個人レベルで言うとマスメディアに対等出来ないのは当たり前だが、それを会社やグループで取り組み、素晴らしいメディアを作っている集団はかなり増えたような気がする。

彼らはUstreamやYouTubeでチャンネルを持ち、かなりのハイクオリティなコンテンツを届けてくれるし、そういったチャンネルが動画に限らず多くなってきていることから、マスメディアは選択性の1つでしかなくなっているのは事実だし、コア・ターゲットに届けることに意味合いと結果が出てくる時代になり、情報はますます肥大化していくので、「一般性」のあるモノがなくなり、そこに「国民的」というモノが生まれにくくなっているということが、マスメディアの抱える問題であることは間違いないであろう。

以上、いろいろ話題はそれたが、フェイスブックで単純にウォールを投稿しているという行動を、記号的に切り分けていくと、マスメディアとの行いとの根本的には同質で、そりゃ「一般人のフェイスブック疲れ」っていうの出てくるわなって話だ。

日本人全員が表に出ること得意な訳じゃないし、その必要性もないのなら、ちょとぐらい楽しいからってやっていると、辛くなることも多いのは当然で、あなたの食べ物、空の景色、飲み会の模様など、それはコンテンツ的な価値はまったくなく、意外とあなたの心理の奥の奥を掘り下げると、あなた自身が「公」に「開」きたいっていう欲求があって、でも、その無意味なコンテンツと、リアル化するソーシャルメディアとのいざこざに精神的なダメージを受けて、それでいて疲れているだけだとしたら、「人に届ける」ということを、一度見直してみるのも良いと思う。

(END) Thanks for reading!

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