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山口県萩市の松下村塾(松陰神社)の風景と様子

谷 洋二郎  2015年5月24日

松陰の叔父である玉木文之進が設立した松下村塾

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松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代末期(幕末)に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾です。長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に、松陰の叔父である玉木文之進が1842年(天保13年)に設立し、松陰が学んだことで有名です。

私塾として意義ある教育の場に育つ

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松下村塾は木造瓦葺き平屋建ての小舎で、当初からあった八畳の一室と、後に杉家の母屋を増築した十畳半の部分からなっています。
1842年(天保13年)に松陰の叔父、玉木文之進が自宅で私塾を開き、松下村塾と名付けました。
ついで松陰の外叔、久保五郎左衛門がその名を継承し、子弟の教育にあたりました。

吉田松陰が引き継ぐも、安政の大獄により廃止

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1857年(安政4年)に藩校明倫館の塾頭を務めた吉田松陰がこれを引き継ぎ、1858年(安政5年)に松陰が野山獄に再投獄され廃止されました。

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身分に捉われず、誰でも分け隔てなく学ぶことができた

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武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れました。明倫館は士分と認められた者しか入学できず、町・農民はもちろん、武士に仕えながら卒(卒族)、軽輩と呼ばれた足軽・中間なども入学できなかったのと対照的です。

明治維新で新政府に関わる多くの人物を輩出

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松下村塾は、短期間の存続ではあったものの、尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出しました。

塾生は約50名ほどと言われており、著名な門下生には、尊王攘夷、倒幕の全国志士の総元締の役割を果たした久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一、寺島忠三郎がいます。

征長の幕府軍を打ち破った高杉晋作も門下生

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もっとも有名な門下生は、久坂玄瑞らの死んだ後を受けて藩論を倒幕にまとめ、征長の幕府軍を打ち破った高杉晋作です。高杉晋作、久坂玄瑞は、「識の高杉、才の久坂」と称され、「松下村塾の双璧」と呼ばれました。また、この2人に吉田稔麿を入れて松陰門下の三秀と言い、さらに入江九一を合わせて「松下村塾の四天王」と称されました。

明治維新の後に復活し、1892年(明治25年)まで存続しました。
今回訪れた萩市の松陰神社の境内には、修復された当時の建物が、門下生の強く学んだ証として、残されています。

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