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専業主婦になりたいと思っていたやる気ゼロの大学生が、ブラック企業で心を入れ替え、爆速で独立、会社を作って割とウマくいった話。

執筆:谷 洋二郎  

大学を卒業したら、あとは死ぬだけ。それぐらい社会に出ることに意欲がゼロだった

非常に楽しい大学生活を送っていました。
大学は人生最大の中だるみというのも納得できます。
さらに言えば、私は社会に対して意欲がゼロでした。

よく同級生には「卒業したら死ぬだけ、だから仕事はどうでもいい」と言っていました。
社会の中で自分自身の足で踏み出すという思考はなかったので、自然とサラリーマンで一生を過ごすルートになりますよね。

子供の時から、スポーツ、音楽、テレビが大好きで、スポーツは大学野球までが限界だし、ミュージシャンになる歌唱力もありませんし、タレントには憧れていましたが、目指すには至りません。

とにかく仕事は耐えて、与えらえた休日を自分なりに過ごす。
だからまともに就職活動もしていません。むしろ、自分のやる気に対して、就活へお金を注ぐことがもったいなく感じ、数社にエントリーし、受かった会社へ入社しました。

そして、この1年目に入った会社によって、自分の社会人人生へ大きく変わっていきます。

ブラック企業で社会人として働くことのつらさを叩き込まれる

高校野球生活より厳しい。
高校野球経験せずに、いきなり超体育会系に放り込まれた女の子は、3ヶ月で精神病に。

配属先の唯一の同期で、所長から呼び出され心の病気で突然辞めることになったとの報告。その日の会社で流れていた有線の宇多田ヒカルの「Prisonr of Love」を耳にしながら仕事をしていたときの心地は、今でも忘れません。

社会で生きていくということはめちゃくちゃ大変ことなんだと痛感しました。
そして、そんなハードな環境の中で、実際に働いている社員の方々は真摯に仕事をしています。

2ちゃんねるの掲示板のブラック偏差値で上位を獲得するような企業で、掲示板でスレッドで嘆かれるような内容通りの会社でした。

入社前から分かっていました。どうせ新卒入社の会社は続かないから、ブラック企業と評判のところで耐えることができれば、数年で辞めても、転職がしやすいだろう。

仕事は単純、量がハード、求められるのはスピード。労働時間は12時間程度なので、そこまでブラックな印象はありません。ただ、イメージとしては12時間を全力疾走させられている感じです。厳しいノルマ追及もあります。

会社に行けば行くほど、組織内で社会人としての価値を付けられることに違和感を覚えるようになりました。
もちろん、ノルマを達成したり、コンテストを入賞したときの達成感はありましたが、この会社で一番にもなれないし、一番になりたいとも思わないし、一番になったところでどうなんだろうとも思いました。

そんなモチベーションなのに、仕事はモチベーションなど考える暇もなく、激務、激務、激務。

自分が自由に仕事をするには、他者から見て圧倒的だと思わせるスキルが必要だ

ブラック企業でやる気ゼロながらも精一杯働いて思ったことは、社会の中で圧倒的なスキルを持ち合わせていなければ、自分の好きなことを自由にできないんだなということです。

だんだん休みの日は毎月、本屋に行って、自然と資格のコーナーの本を立ち読みするようになってました。

そこで大学の頃にふと考えていたことを思い出しました。実は大学の頃に暇つぶしに懸賞をしていました。懸賞が転じて、詩や小説に公募して、小さなコンテストで入賞や佳作などを獲れるようになり、アイデアを表現することに楽しさを感じていました。大きな賞に応募し続けて、大賞を獲って表現者のキャリアをスタートさせることは博打だと思っていました。

そんなときに、ちょうど「ホームページを作る専門学校」が大学の近くに出来て、パンフレットを手に取る機会がありました。パンフレットの情報に触れ、考えたのが「ホームページに落選した作品を公開し、評判になったり、出版社の目に留まれば、何かお声が掛るんじゃないだろうか」というもので、今のWeb×言葉の原点です。SEOなどまったく知らず、オウンドメディアやコンテンツマーケティングが重要とされる8年前のことです。

ブラック企業で勤めながら「Webデザイナーという技術職なら、自分の自由が手に入るかもしれない…」という想いが強くなり、地元宮崎の専門学校の資料請求などをするまでになりました。

毎月10万円の貯金を行い、新卒10ヶ月で退社、貯金を元手に…

大学卒業後は使わないことを強く意識した倹約家でした。
今は、必要なものにはどんどんお金を投資する体質になりましたが、新卒入社時は、とにかく1000円以上のモノには、手を出さない。そんな感じのお金の使い方をしていました。

なので、一人暮らし、手取り20万円で、その半分の10万円は貯金していました。
10ヶ月で100万円貯まった時、私の勤めてる支社では年度が始まってから10人以程の社員が辞めていました。
支社の社員数が20人程なので、かなり入れ替わりが激しいですよね。

辞めるなら冬のボーナスを貰う前、11月末にブラック企業を辞めることになります。
1月に地元の専門学校の試験があるため、本当に良いタイミングで辞めさせて頂きました。

この時点での負け組感というか、社会の中で墜ちていくだろうというムードはひしひしと感じました。周りにサラリーマンの知人しかいないとそうなります。経営者である今なら、自然に訪れた逆境は自分が通常よりも爆進して成長できるボーナスゲームだと思いますが、安定と不安定の視点しかこの頃はありませんでした。

ブラック企業を辞めてからは、努力の質が変わりました。今度、社会に出るときは、自分の自由を手に入れる。そのためには技術が必要。だから、技術を詰め込む。専門学校が始まる4月までは、ひたすら独学をしました。<html>と</html>のタグの間に情報を入れると、ホームページが出来上がるという初歩的なところからスタートしました。

二年間行くはずの専門学校も1年足らずで退学!

貯金の100万円を元手にアルバイトをしながら、学校と学校外でもがんがん技術を取り入れていきました。

専門学校に入ってびっくりしたのは、先生と生徒のやる気のなさです。
一度社会を経験している自分の温度が高いだけかもしれませんが、先生側に危機感がないのは驚きました。
そんな大人を観て、自分で考えて行動するしかないと思い、専門学校は教えてくれる場所ではなく、自分で教わる環境と思い、使いまくってました。

進学校、文系国立大学と進学して、一番違ったのは、アウトプットのための知識を学べる楽しさです。Webデザイナーとして必要な知識は様々ですが、PhotoshopやIllustratorを使う技術も、HTMLやCSSやPHPのコーディングも、すべては何かの成果物のための知識になります。Webデザイナーになるためのスキルは、ポストカード、雑誌、ゲームなどを作ることにも活かされます。

ただし、専門学校も1年の冬で辞めてしまいます。
その原因が夏休みの勉強時間が取れなかったことです。
夏休みのアルバイトは翌年の学費を稼ぐために、10時~16時に行っていて、バイトが終わったら、学校へ直行していたのですが、専門学校で夏休みに勉強をする人はほとんどいません。ほとんどの生徒がPhotoshopやIllustratorのソフトを持っていなかったので、夏休みに学びに来る生徒の方が異常だったんです。

そして、先生たちはというと、夏休みは生徒が来ないから早く帰れるチャンスだと考えていました。いつもなら20時まで空いている学校が17時過ぎには締まります。バイトが終わって、必死に自転車を濃いで学校に行っても、30分ほどしか作業はできません。

それなら、バイト代でパソコンとアドビのソフトを購入して自分でやるしかない。そして、冬休みに就職先を決め、年明けに辞めるしかないと考えるようになりました。

地元の宮崎はWeb制作会社が限られているものもありますし、この時は東京へのステップアップも考えていたので、まずは、九州の都市部、福岡で活動したいと考え、福岡の10社にエントリーし、2社合格することが出来ました。

実は専門学校には、テストの成績と自分の交渉で専門学校では前例のない額を免除してもらいました。そんな中、一年ですぐ辞めて、契約書なども交わしていなかったためか、違約金も請求されずに、私自身が専門学校を利用してしまった形になりましたが、今後の成長で恩返ししていこうと思いました。

超ホワイトなベンチャー企業でWebデザイナーとして奮闘!アメブロでネタ発信をスタート!

専門学校の冬休みが終わり、退学が決定して、翌週には福岡に引っ越し、新たな会社で再スタート。
まだ、Webサイトの制作が完璧じゃなかったため、当時表現の場として使えると思ったアメブロで『爆笑ピクト-5秒で読めるおもしろ雑貨的イラスト』を開始。後に書籍化になり、大手企業とのタイアップ、LINEスタンプのヒット、ヴィレッジバンでのグッズ化など、多くの実績を与えてくれるブランドになります。

会社はベンチャー系のWeb開発会社。手取りは15万円程です。
給料は下がりましたが、10時~19時にきちんと仕事が終わる超ホワイトな会社です。

全員がその日に自分で考えて、仕事をする。Webサイトも単に作るだけでなく、広告を出稿し、解析を見ながら、ページの文言やデザインを変えて、成果を上げていく。常に全員が調べながら、技術を取り入れて、仕事をしていくというスタイルがすごく新鮮で、「調べればメシが食える」と感じ始めたのもこの頃です。

福岡1年目で友達ゼロ!翌年、友達作りのために週3で参加した交流会で転職のお誘いが続々!

17時~19時に仕事して、それから『爆笑ピクト』を更新し、帰宅してテレビを観た後に、また、新しい技術を取り入れる。休日はランニングと技術を取り入れる時間。人と会うことをしていなかったので、福岡1年目は友達がまったくできませんでした。

さすがに知り合いがいないのはマズい。そう感じて、ネットで交流会やイベントを参加し、一週間に3~4回出るようになりました。すると、当時作っていたブログだったり、自分の考えだったりスキルを認めてくれる経営者の方と多く出会い、転職の誘いも頂くようになりました。

給料も働いていた会社の倍の額以上を提示してくれたりと、自分の価値を見直す機会にもなっていきました。

会社がアダルト系に急転間?そして、いきなりの辞職宣言!

ベンチャー系なので、山あり谷ありで、会社の方針がいきなり変わります。
アダルトコンテンツを量産し、アダルトアフィリエイトで稼ごうという事業を考え、そのサイトをひたすら作る役に自分が指名されました。量産なので、いろんな趣向の人に沿ったサイトを作らなければいけないので、結構グロイなと思い、その場で辞職を申し出ました。

いきなり辞めちゃえという感じでしたが、転職の誘いがあったという事実と肯定感があったから強気な行動に出られたのかもしれません。もっと言うと、思いっきり辞めると言えるチャンスで、辞めたら何かが起こるんじゃないかという予感も感じていました。

転職オファーがあった会社の経営者たちが全員「貯金がなくなるまで一人でやってみたら?」と、独立を提言

会社を辞めることが決まってから、誘いを頂いた経営者の方に会いに行ったのですが、その時に口をそろえて「貯金がなくなるまで一人でやってみたら?」と言われました。

きっと経営者の方々は、「会社の駒としてのマインド」があるという前提で、自分を誘いたかったんだと思います。実際に話をする中で、「爆笑ピクト」のブログが好評だったことや、自分の表現に対しての熱量があったこと、自分が出たがりだったこともあって、独立が向いていると思い、提案してくれたのでしょう。

はっきり言って、自分から独立することは考えていませんでした。
独立なんて危ない人間のすること。自分にはリスクと向き合う才能がないと思っていました。

でも、転職の誘いをして下さった経営者の方々がソフトに独立の道を薦めて下さったおかげで、ソフトに独立しました。

いざ、独立!アメブロの自動ぺたソフトを使ったグレイな裏技を発見!ワンクリックでお客さんをどんどん獲得

独立するずっと前に、交流会でたまたま知り合った方に、mixiが流行っていた頃に、mixiの自動足跡ソフトで月に数百万稼いでいたという話を聞きました。

サラリーマンをやっている方は、上記の事情だけで、なぜそんなに稼げるのかイメージが付かないかもしれません。

これは他人の足跡帳にに自然露出を増やして、自分のサービスとマッチングする人の確率を上げていくという超単純なカラクリです。

それで、私は当時アメブロやっており、情報を探すと、アメブロにも「自動ペタソフト」なるものがあったのです。
そして、この自動ペタソフトの思わぬ使い方を発見します。

アメブロは当時1ブログ1日500ペタを踏むことができます。、mixiの自動足跡ソフトで月に数百万稼いでいたという方の話から、私は1ペタは1つのダイレクトメールを送るようなものだと思いました。自動ペタソフトにはなんと「ターゲットを絞る機能」が様々にあり、例えば、「ホームページ作りたい」とブログに書いたことがある人だけにペタを踏むことができるということもできます。

私はアメブロカスタマイズ(アメブロを芸能人ブログのようにオリジナルデザインの入ったブログにカスタマイズする)というサービスをアメブロで展開し、自動ペタソフトとさらにはここでは説明しずらい手品のようなロジックを使い、ペタソフトをワンクリックするだけで、毎日がんがん集客していきました。

この時に、私が思ったのは、「世の中に飛び道具てあるんだな」ということです。
飛び道具は使える期間が限られているかもしれませんが、自動ペタソフトを使って、全国の方々からメールフォームに毎日仕事を依頼が来るのです。

独立した翌月には仕事がパンパン、一気に稼いだお金で出版者を作り、ネタ本「爆笑ピクト-5秒で読めるおもしろ雑貨的イラスト」を出版

独立翌月からは仕事がバンバン入るようになり、サラリーマン時代よりも稼ぎも多くなります。
時間も自由になり、出版も実現することができるようになりました。

独立2年目には『爆笑ピクト』が森永製菓のお菓子の景品として全国のミニストップ2200店舗でタイアップ、2013年には2冊目の書籍『アイノコトバ』をリリースし、サービスもアメブロカスタマイズからWebサイト制作に移行していくことになります。2014年には『爆笑ピクト』をLINEスタンプにし、人気ランキング2位&10万ダウンロードを突破。その年のベストスタンプに選出され、LINE Creators Stamp AWARDにもノミネート。2015年には『爆笑ピクト』が全国のヴィレッジバンバンガードでグッズ化。2016年にはテレビ東京の正月特番『蛭子 図解の経典』に出演し、多くの体験をさせて頂きました。

最近はライティングに関する仕事が増えて、まだまだ自分の自由とは言えませんが、「専業主婦になりたい」「大学を卒業したら死ぬだけ」と考えた自分が、自分で考えて行動して、社会とそこそこ向き合いながら、割とウマくやれるようになりました。

部活に没頭、そこそこ遊んでも有り余る時間、暇つぶしに始めた懸賞が執筆能力の源に

やる気はないけど、とりあえずやる。
これは、小学生~大学生まで部活に取り組んでいたことが大きいのかなと思います。

個人の方から頼まれて、コンサルティング、企画、提案などをする機会がありますが、ネックになるのは行動量です。コンサルティングで提案できるのは「やればうまく行く方法」であり、「行動の質」です。質と量が合わさる「質量」を確保するには、努力を保証する必要があります。

部活をやっていたことが努力の担保に繋がったわけですが、その他にも大学生活で学問として論文に向き合ったこと、趣味として詩や小説を書きまくったことが、後の仕事に活きる大きな糧になりました。

今では文章を書く仕事ががんがん来るわけですが、そのきっかけはクリエイターEXPOという展示会で、来場した企業の方に『爆笑ピクト-5秒で読めるおもしろ雑貨的イラスト』をプレゼントしているということです。『爆笑ピクト』の文章を読んで、その他の自分のスキルや実績を踏まえて、文章を書くさまざまな仕事が舞い込んできます。内容は下ネタやブラックジョークにも関わらず、社歴を作るお堅い仕事なども頂きます。

とにかく一人でいろいろやってきて、大学やサラリーマンの頃は社会に対して諦めていたにも関わらず、自己顕示欲があったのかもしれません。大学の時には意味のないことをがむしゃらにやってました。視野が狭くても、やる気がなくても、危機感を煽られる環境に遭遇したこと、危機感と努力がマッチして、行動力が一気に増えたこと、Webの業界に跳びこんで、自分で調べて努力の質を上げるスキルを身に付けたことなど、いろんなことが足し算になって、掛け算になったおかげです。

これだけ文章にしてしまったので、今後も割とウマくやれるように、頑張っていこうと思います。

(END) Thanks for reading!

谷洋二郎とは…

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人気2位
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ノミネート
ヴィレバン
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大学は長崎
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