胡散臭いの原理・胡散臭いと思われる理由・思う側の心理
胡散臭いとは?
辞書で「胡散臭い」という言葉を引くと、たいてい「何となく疑わしい。何となく怪しい。」といった意味が記されています。
自分が胡散臭いと思われる時、人が誰かと胡散臭いと思う時、
・まだ確定できない
・まだ理解できない
・まだ含みがある
・ホワイトではない
・ダークグレーっぽい
といった「どっち付かず」の印象を与えています。好感度で言えば、真ん中というよりは、ややネガティブよりでしょう。
ただし、分かることは、無味無臭ではなく、インパクトを与えているからこそ、胡散臭さの妙が心へ残るわけです。
胡散臭いとは、ある種、「怪しいかも」という予想状態ですよね。つまり、胡散臭いとは、
まだ、完全に見抜けるだけの度量が判断側になく、その度量のなさを疑惑に置き換えている
とも言えます。
知識に疎く視野が狭い人間は、必然的に他人を胡散臭いと思うことが多くなる
私の経験だと、飯を食うことに関する様々なリテラシーは、サラリーマンの方よりも、フリーランスや経営者の方の方が圧倒的に長けています。なので、会社勤めの友人などに「えっ、そんなので飯食えるの?」とかよく言われるんですが、がっつり食えるというか、「それで生計立てられることがイメージできないのかー」と思うこともあります。
実際に、自分が会社勤めをずっと続けていたら、ありとあらゆる稼ぎ方にイメージを持てずに、「胡散臭い」と言い放っていたと思います。
結局は、経験や知識や思考を積み重ねて、培われた総合的なリテラシーで相手を理解していくので、「胡散臭い」というのは自分のリテラシーがそれまでだということが言えます。
他人を胡散臭いと思ったら、自分の視野と思慮を磨くチャンス
もちろん、疑って掛かることは今の時代には必要な能力です。ただし、何でも胡散臭いと結論付けて、自分を正当化すると、視野は広がらず、思慮は深くなっていきません。
自分の尺度や価値観を大事にしながらも、いったん、自分の尺度や価値観は忘れて、フラットに相手を理解しようとするマインドが、多様化・複雑化・情報化・高速化した時代には必要だと感じています。
胡散臭いというアロマを楽しもう
胡散臭い人は、自分の価値観の外に要る「面白味のある人間」です。直接的な利害関係にないのであれば、相手を楽しく理解していけばいくほど、自分が何者か、自分が本当に何を求めているのか、自分が進むべき道はどこなのか、明確になっていきます。
胡散臭いという感情を上手に扱えば、他人に喜ばれながら、自分も成長できるとっても良い機会になりますよ。
胡散臭いというアロマを上品に味わいながら、生きるリテラシーを高めて、良いものを嗅ぎ分ける人生を過ごしていきましょう。
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